010010111010111011
11101011001110100101101
110100101000101110101
110100101101100110101101
010010111010111011

r423.jp

映画『魍魎の匣』はとても残念なことに - 2007/12/22(Sat) 00:00:00
keyword: film

匣の中にはぴったりと娘が入っていなかった・・・.
映画『魍魎の匣』を見てきたのですが,なんというか笑いどころが見つからない漫才を見ているようなそんな気分になりました.
僕は某所で猛烈に語られている原作信者供の言い分(キャラのイメージがあわないとか)はどうでもいいのです.
むしろ映画としてこれでいいの?というストーリーの不完全さ,こんなの公開していいの?これで金取るの?という点で僕の大好きな匣は殺されました.
以下,映画,原作ともにネタバレを含むので注意.

久保竣公は幼少の頃に美馬坂研究所に出入りしており,その頃に実験の失敗である『匣の中の娘』に邂逅して境界線を超えてしまう.という設定.
既にこの設定自体が破綻している.
まず基本的に研究所の実験体を子供が勝手に見たりするような場所に置いたりしない.また失敗であったとしても生身の検体を匣の中に放置するということをするだろうか?それが例え戦時中だったとしても,というより戦時中だからこそ弔いには殊の外,気を使うはずだ.
厳重に焼却し埋葬するなり,標本にするなり,標本にするなら機密扱いの研究なので厳重に管理する.失敗も十分な研究材料なのでぞんざいに扱う訳がないし,なにしろ戦時中でかつお国(軍)が出資者なのだから機密扱いは尋常ではなかったはずだ.

設定を大目に見たとしても許されない大きなミスがある.
研究所で見た『匣の中の娘』がトラウマとなって,久保竣公が猟奇殺人を繰り返すという動機.この猟奇殺人は匣に生きたまま人を入れるための実験として,生身の人間の手足を切断し,顔と胴体を匣に入れておき,死に至るという陰惨なものだ.
重要なのは研究所で見た『匣の中の娘』が生きているか,死んでいるかという点.映像で見る限りは死んでいるだろうし,また言葉でも『失敗作』と言っていた.つまり死んでいる『匣の中の娘』だ.
トラウマになるやもしれないが,これで猟奇殺人を繰り返すほどの乖離した精神を生むだろうか?僕はそうは思わない.例えば葬式.日本の習慣では納棺した後も,通夜のときなので挨拶ができるようになっている.つまりここでいう『匣の中の娘』は日本の一般的な葬式で,いくらでも見れる光景とほぼ一緒なのだ.死んだ人が匣に入っているだけなのだから.

違うだろう.こんなことでは猟奇殺人に至らない.バカにするなと言いたい.
僕は原作と映画は別ものだと思うから,原作と映画を比較する事はあまりしたくない.だけど映画の話の非整合性を語る上で,原作を例にして取り上げたい.
原作の久保竣公は,夜汽車の車内で雨宮典匡が連れ出した『匣の中の娘』柚木加奈子と邂逅する.柚木加奈子は手足を失っており美馬坂研究所で治療を施された生きている『匣の中の娘』となった.この生きているところがポイントなのだ.

匣の中にぴったりと入っていた娘は,ころころと鈴を転がすような『ほう』という声を発した.そしてにっこりと笑っていた.あぁこの娘は生きている.そしてこの男がひどくうらやましく思えた.

この瞬間に久保竣公は境界線を越えてしまった.なぜなら手足もなくしかもその少女は美しくまた笑って匣の中で生きていたからだ.匣の中にぴったりと納まって生きていける実証を得てしまったからだ.
元々幻想的な視野と想像力を持ち合わせ,常々匣に取り憑かれていた久保竣公は,境界線を越えてこの生きている『匣の中の娘』を作るために実験を繰り返す.というのが猟奇殺人の動機.異常な研究所で治療を受けた異常な匣の中の娘,それらに目の当たりにし,異常な世界に踏み込んでしまった久保竣公が猟奇殺人を繰り返すには十分かつ必要な条件であり,そして納得のいく異常性への見事な誘導だった.
そして僕は,江戸川乱歩,海野十三,宮沢賢治,夢野久作,中井英夫など日本の名立たる小説家が挑んでは阻まれた幻想小説と論理性への挑戦,現実と幻想の境界線の表現,それに成功した唯一無二の作品が『魍魎の匣』だと思っている.
に比べ,映画はどうだ.死んでいる『匣の中の娘』を見たところで,境界線なんて超えられるものか.あまりにも稚拙で短絡的な動機付けだし,茶番だとしか言いようがない.

これ以外にも楠本頼子が柚木加菜子を突き落とす動機や美馬坂幸四郎の人間性などの表現に非整合性があるものの,映画には時間制限というものがある以上しょうがないと思う.
映画として制約がある中で小説とは違った別の核心を用意してくれれば,こんなことは言わない.
しかし久保竣公の異常性を表現する事に終始し,小説『魍魎の匣』の核心を殺してしまった映画『魍魎の匣』に見るべき価値は見いだせなかった.
とても残念なことである.

comments